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とにかく『ビーバップハイスクール』と
『スクールウォーズ』が大好きでしたね
「神大寺小学校っていうところに行ってたんですけど、そのころはマンガ『ビーバップハイスクール』が流行ってて。ズボンのボンタンってあるじゃないですか。その形をしたジーパンの“ボンジー”をみんな履いてましたよ(笑)。階段で、タバコの代わりに給食で使うストローを吸って遊んだりして。火をつけてるわけでもないし、ただタバコの真似して吸ってるだけなのに1000本ぐらい使っちゃって、えらい怒られました(笑)。とにかくビーバップと、あとテレビドラマ『スクールウォーズ』が大好きでしたね。
スポーツは、サッカーをやってました。クラスでは結構、班長とかチームのリーダーとかもやってましたよ。成績は、算数の計算が苦手で…。だけど、小学校ぐらいまでは成績はいいほうだったと思いますね。日能研と太陽学院っていうのが流行ってたんですけど、ウチは塾に行かせてもらえなくて。行ってないほうとしては、勉強じゃなくて、友達が行ってるから行きたいみたいなのがあったんですけど、結局1回も行かせてもらえなかった。妹は行ったんですけど、いっつもビリの成績を取ってきてましたね(笑)」
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サッカー部に入りたかったのに、運動部は入部リンチとか
いろいろあるって聞いて、やめたんです。
「母方のジイちゃんもバアちゃんも、元は宮城なんですけど、ジイちゃんはもうずっと横浜に住んでるから、僕はジイちゃんと母ちゃんと同じ中学校に行きました。六角橋中学校。あ、山本リンダも行ってた中学です(笑)。この中学は、ものすごいヤンキーの学校で、新聞にも載ったりして。全校集会とかあるんですけど、学校の集会じゃなくて族の集会みたいになってましたからね。表でバイクがブルンブルン言ってて(笑)。
小学校のときに仲の良かった上級生もいたんですよ、2つ上だったかな。小学校では普通
にタメ口きけたのに、僕が中学に入るまでの2年間に何があったんだ!?と思うくらい、タメ口きける雰囲気じゃなくなってるんですよ。ホントものすごい悪さで。部活は理科部の部長をやったんですけど(笑)、これも、僕はずっとサッカーをやってたからサッカー部に入りたかったのに、ウチの中学の運動部は入部リンチとかいろいろあるって聞いて、やめたんです。で、友達の小野塚クンと冷やかし程度に仮入部とかでいろいろ見てたら、理科部だけすっげぇ食いもん作って食べたり配ったりしてるんですよ。“これじゃん!”って。でも、小野塚クンは何回もタバコ見つかって停学になったりして、退部させられちゃって。でも僕は、やめられなくなって部長になって。部員は4〜5人しかいなかったんですけど、ひとつ下はいっぱい入りました。べっ甲飴で釣ったから(笑)。
年下の子とは、僕は同じ目線まで持っていって話ができるし、その子がタメ口でしゃべってきても全然気にならないんですけど、僕は自分より上の人には敬語を使ったりするんです。体育会系なノリを重んじるというか…。なんですけど、自分はそうされたくないっていう。えぇカッコしいなんですかね。性格は今とそんなに変わってないと思いますけど、何年生のときか、丹波哲郎の映画『大霊界』を見て、すっごくいい子になったんですよ! それまでは妹とものすごくケンカもしてたんですけど、“よしよし、お菓子あげるよ”とか言ったりして。あのときは、メチャメチャいい子になってましたね」
ギター弾けるのはモテる要素になりませんでしたねぇ。
女の人とは敬語でしゃべったりして一線置いてたから(笑)
「小学校6年か中学1年のときに、クリスマスプレゼントか何かで母ちゃんの弟にアコースティックギターをもらったんです。ちょうどバンドブームだったし、その叔父さんもちょこちょこギター弾いてたんですよね。習いはしなかったんですけど、ギターについてたコード表と、あとコードブックを1冊買って練習して。フォークで入ったから、今でもコードの押さえ方が違うんですよね、Cとか。
エレキギターは、友達に借りて弾いてましたね。練習というより、家にいるときはずっと触ってるって感じでした。基本的に、ギターが一番面
白いオモチャだと思いますから。ゲームとかも面白いけど、ギターが一番。楽器であり、オモチャであり。僕は昔から、カッティングだけは結構できたんですよ。ソウル的なものとかも、リズムギターだけは特殊な特訓しなくても何となくできていたから、すごくできるように見えたんでしょうね。ソロとか弾いたら、僕より上手いヤツはいたかもしれないけど。でも、こういうのはモテる要素にはなりませんでしたねぇ(笑)。僕は女の人とは敬語でしゃべったりして、一線置いてたから(笑)。僕のことが好きだって言ってくれる人もいたけど、まぁ総合的にカッコイイ人ではなくて面
白いヤツとかいうふうに見られてたのかなぁ。
あとね、イカ天(TBS系『イカすバンド天国』)が大好きで! “たま”が大好きだったんですよ。そのときは、どうしても知久クンになりたくて、ヘアスタイルとか真似して(笑)。でも、友達で話が合う人がいなくて、1人だけ剣道部の橋本さんって女の子だけは話せた(笑)。中学2年ぐらいになったら、たまがデビューして、ものすごく流行ったじゃないですか。もう悔しくて。僕は前からずっと聴いてるのに、同じクラスのヤツがレコード買ったとかで自慢してて。でも、そのあと僕はフライングキッズが大好きになって、そっち行っちゃうんですけど。アディダスのウィンドブレーカーで、下はスウェットの上に短パン履いて。そのオシャレさは誰にもわかってもらえなかった(笑)。バンドとしては、人数が多くて個々の色が分かれてるというか個性の強いところが好きだったんです。今思うと、それってポットショットの感じにすごく近いですよね」
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