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本当に好きなことをもっと真面目に、
真剣にやろう、ってなりましたね
「あとは'98年の暮れですね。みんなに“ヨシト辞めるんだって”って言ったら、コーちゃんも“じゃあ僕も今回でホントに辞めます”って。“えっ、キミも?”みたいな(笑)。でも“ほかに辞めたい人は辞めてください”って言ったら、それ以上は出なくて。“それでもまだ俺やりたいけど、やる?”みたいになって、そしたらみんなまだ“やる”って言ったり。で、またいつもの感じで雑誌とかにメンバー募集を出したり、口コミで“メンバー募集してます”っていうのをバーッてまいて。
そのころ、これからもっと大きな波が来るっていう感じだったから、UKプロジェクト的にも本腰が入り始めてたときッスよ(笑)。でも、ウチら的には遊びっぽさが抜けてなくて。だから“なんでヨシト辞めんの?”ってなったときに、ヨシトにそういう話をされたんですよ。それは俺もやりたかったけど、そういうことだったのか、そう言えばそうだね、って。俺らは半分プロだもんね、甘かったよね、みたいな。じゃあ辞める前に言ってくれればいいのに、とは思ったんですけどね(笑)。まぁ置き土産として気づかせてくれたというか…。
それから心構えも変わりましたね。それまでは、ライヴの当日にメンバーが誰かいりゃあいい、別に演奏が合ってなくてもいいし、曲さえ憶えてればいい、みたいなところでやってましたからね。やりゃあウケちゃうんですから。で、“今日も打ち上げ、カンパーイ!”だったんですよ。ヨシトは、そういうのがイヤだったみたいですね。もともとアイツはミュージシャン的なところ、プレイヤー的なところが強かったから、陰でゴチョゴチョ言われてることとかも、すごく気になってたみたいで。それに、僕が書く曲と彼のプレイヤーとしての方向性も違ってきてたし。それが重なっちゃったというか。
リーダーとしては、真のリーダーシップを発揮するというより、もうここまで来たら開き直りッスかね。やっぱり本当に好きなことをやろう、と。好きなことをもっと真面目に、真剣にやろう、ってなりましたね。遊びだからこそ死にもの狂いでやらないとダメだな、みたいのはありました。だから、ヨシトに遠慮してた曲とかもあったわけですけど、そういうのはやめて、もうオリジナルメンバーもいないんだから嫌な奴は辞めていけよ、俺はこの曲やりたいからこういうふうにプレイしてくれ、っていう。身勝手で行こうって決めましたね」
打ち上げでイイ感じに酔っぱらって(笑)、
正式に決まった気がしますね
「一番最後に入ったのはイチカワさんです。トランペットのミッチーが決まって、アイツは口コミで入ってきたんですけど、騙されて連れてこられて(笑)。でも一発で決定でしたね。でも、ベースは10人以上も一緒にリハしたりしたんですけど、グッと来る奴がいなくて。ただ、せっかく今いい勢いなのにバンドが止まっちゃうのはもったいないな、と。だから、サードアルバム('99年『POTSHOT 'til I die』)用の曲はできてたし、その曲の鮮度が落ちちゃうのも嫌だったから、もう録ろうって決めて。で、またスタジオミュージシャンで録ろうと思って、コバさんに“誰かプロの知り合い、いませんか?”って言ったときに、イチカワさんの名前が出たんです。まぁ2〜3回飲んだことがあったから、“じゃあイチカワ君がいいんじゃない?”って。それで話したら、“別にスケジュール空いてるから、やれるよ”ってことで。
それでスタジオに来たんですけど、曲を覚えてこないんですよ。“アレ? プロなのになぁ”って思ったんですけど、やっぱり出てくるモノは良かったですね。好みに合ってたというか。で、とりあえずレコーディングを手伝ってもらうことは決まったんですけど、その前にライヴが何本かあったんですよ。そのときまでにはメンバーも決まってるだろうと思って、入れちゃってたぶんがあって。そのライヴ3本のうち、1本目はオーディション受けた奴の中で一番良かった奴の2次オーディションみたいな感じで、本番をやったんです。でも、やっぱりグッと来なくて。
で、レコーディングはイチカワさんに頼むことが決まってたから、ライヴ1〜2本でもやったら馴染み具合が違うかもしれないってことで、“メンドくさいと思うんですけどライヴも付き合ってもらえませんか?”って言って。要はレコーディングとライヴで覚える曲が違うから、ちょっと負担じゃないですか。でも“いいよ”って、二つ返事で。でも覚えは悪いんですけどね(笑)。で、そのライヴが赤坂ブリッツの、ルースターズ・トリビュートのライヴだったんですよ。だからデビューライヴがブリッツです、あの男は(笑)。さすがにビビッたって言ってましたけどね(笑)。軽い気持ちで参加したら…みたいな。
それで、まぁ曲の覚えも悪いしミスも結構あったんですけど、俺の中では合格点で、その打ち上げで話してるうちに“決まったバンドもないし、とりあえずバンドはやってみたいと思ってた”みたいな話をポロッと言ってくれて。“じゃあ、ちょっと正式メンバーでも考えてもらえませんか?”って話になって、そのまま2人でイイ感じに酔っぱらって(笑)、正式に決まった気がしますね。で、入ってた3本目のライヴもやってもらって。
ステージ衣装は、サードアルバムぐらいまでは暗黙の了解で“Tシャツ・短パン”っていうのはあったんです。だからコバさんが入ったときも、“ウチはTシャツ・短パンでライヴやってますよ”って。だからイチカワさんにも、Tシャツ・短パンにスニーカーでやってもらってましたよ。イチカワさんの1本目の赤坂ブリッツのときに、楽屋に短パン5枚ぐらい持って行きましたからね。“どれがいい?”みたいな。
でも私生活では、そうなってたんですよ。話を聞くと、前はオフでも革パンですからね。でも、もうそうじゃなくなってて。ただ、やっぱり“このままステージに立っちゃっていいの?”みたいな感じでしたね(笑)。
それからはメンバーも固まったわけですけど、やっぱりサードアルバムに関してはベースのアレンジとかをする時間が、ほとんどなかったですからね。だから今聴くと、ちょっと甘いかなっていうのはありますけど。でも、ミッチーが入ってホーン隊のピッチが良くなったし、あと歌もサードから師匠が付いたんですよ、ヨウコ師匠(※ウツミヨウコ/ex.メスカリン・ドライヴ〜現ソロ&ソウル・フラワー・モノノケ・サミット)が。だから歌とホーンは、たぶん良くなってるんですけどね。だから自分としては、やっぱり4枚目('00年『POTSHOT a-GOGO』)で初めてバンドっぽくなってるというか…。
4枚目は、当初はもっとあとに作る予定だったんですけど、そのころメチャメチャ順調だったんですよね。“til I die”のツアーをやってる間に、曲は結構作りましたからね。ツアー中に、あまりにも楽しくなっちゃって(笑)」
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