オヤジが単身赴任でずっといなかったから
普通の家庭じゃないかもしれないですね

「家族は、両親と4つ上の兄貴の4人です。いわゆる普通の“中の下”くらいの家庭じゃないかな(笑)。でも小3のころから高校出るぐらいまで、オヤジが単身赴任でずーっと家にいなかったんですよ。そういう意味では、普通の家庭じゃないかもしれないですね。で、共働きで母ちゃんも働いてたから、メシは小学生の終わりぐらいから自分で作ってました。今でも料理は好きですよ。あと小学校のときは、ずっと剣道っコでしたね(笑)」


家でメタルが流れててカッコイイと
思ったのが、小6ぐらいですね


「兄貴がいたから、同世代の中ではロックなり漫画なりのいろいろな文化に早く触れたほうだと思います。兄貴が最初に、歌謡曲じゃなくニューミュージック…あのころって、まだロックがニューミュージックとかいう呼ばれ方をしてて、それを聴いてるだけで、とりあえずちょっとオシャレみたいな。
 今だと、インディーズを聴いてるのがなんかオシャレとか、そういう感じで確か…アルフィーの『メリーアン』とか渡辺美里とかを聴いてたのかな。同世代は当時、キョンキョン(小泉今日子)とかミポリン(中山美穂)とか、おニャン子クラブとかで。でも僕は、そういうのはダサイと思ってましたね。
 で、兄貴がニューミュージックから、そのまますぐにハードロックとかメタルに行ったんです。だから家では、もうそういうのが流れてて、たとえば日本のバンドだとアースシェイカーとかラウドネス、海外だとボン・ジョヴィのファースト('84年『夜明けのランナウェイ』)とかセカンド('85年『7800°ファーレンハイト』)、あとスコーピオンズとかアイアンメイデンとか。ヴァン・ヘイレンはなかったかな…でも、まぁメタルですね。まだLAメタルまでは行ってなくて、ダサくない感じ。だから、学校の同世代には全然通じないようなのが家では流れてて。やっぱり、それがカッコイイと思わされるじゃないですか。それが小6ぐらいですね。
 そうこうしてるうちにバンドブームになって、兄貴の影響じゃなく、初めて自分で聴いて好きになって、自分の意思でCDを買いました。時期的には、イカ天と第1期インディーズブームの間ぐらいかな。インディーズ御三家(ラフィン・ノーズ、ザ・ウイラード、有頂天)のちょいあと。レッド・ウォーリアーズがセカンド('87年『カジノ・ドライヴ』)とかサード('88年『キングス』)あたりで、ザ・ブルーハーツがセカンド('87年『ヤング・アンド・プリティ』)が出たばっかりで、ジギーがもうすぐメジャーセカンド('88年『ホット・リップス』)を出すとか、そんな感じだったと思います。それが中1ぐらいですね」


遊び仲間のグループみんなで
そのままバンドブームになりました


「学校のほうは、一番荒れた時期は通り越していました。東京って、ウチの兄貴の代とか、そのチョイ下とかが、一番荒れてた時期だと思うんですよ。俺らの代は、ちょっと落ち着き出した時期。俺らより下がもっと陰険な感じで、今の陰湿な犯罪とかにつながってるような世代になるんでしょうけど。ただ、ウチの学校がそうなのか世代がそうなのか、あまり荒れてはいませんでしたね。ファッションで“変形学ラン”みたいなのを着てましたけどね、普通に。まだ『ビーバップハイスクール』とか、みんなで見てましたから。
 でもヤンキーみたいなのじゃなくて、わかりやすく言えば“不良だけどオシャレに遊んでるヤツら”って感じですね。暴走族になるとか、シンナー吸ってどうのこうのとかじゃなく。まぁタバコぐらいは便所で吸ったりしてましたけど、別にガラス割ったり先生をブン殴ったりとかは、なかった学校でした。遊び仲間のグループみんなで、そのままバンドブームになりましたからね。だから中学校の終わりごろで、2個ぐらいバンドがありましたよ。自分もそれに入ってましたね」