“この先どうしよう”って結構
悩んでたような気がします


「相愛大学の音楽学部に入学して、初めての1人暮らしが大阪で始まるんですけど、新鮮でしたねー。最初は、田舎から一緒に出てきた高校のときの友達と2人暮らしをしてたんですよ。途中で僕が引越して、1人になって。やっぱ都会ですからね、いろいろ遊んじゃって(笑)。バイトもすぐ見つけて。カラオケ屋さんで、結局、東京に来る寸前まで、そこで働いてました。そこをやりつつ、ほかのバイトもやってて。解体とかコンビニとかクルマのオークションとか、メチャメチャやってましたね。
 昼間は学校で、夜はバイト。みんな音楽のために学校に来てるわけだから、すごく練習してましたけど、僕はあまりやらなかった。自信はなかったですよ、偶然受かっちゃってラッキーぐらいな感じでしたから。だけど試験とかはあるから、そのへんは要領良くやってましたね。
 そのころ、無理矢理バンドに誘われて、学園祭とかで吹かされてました。でも、何だろう…学校自体がクラシックじゃないですか。だから、バンドやってたら、だんだん間違ってきちゃって(笑)、クラシックにあまり魅力を感じなくなったんですよ。今は好きですけどね。
 その当時は、ホーンセクションがいるバンドのCDを買いまくってました。一番よく聴いたのは、JB'sとかタワー・オブ・パワー、アース・ウィンド&ファイアー、KC&ザ・サンシャイン・バンド、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、クール&ザ・ギャング、そういうのを聴いてましたね。あと、日本人ではスペクトラムとか。
 上手くなりたいとは思ってましたけど、この先どうしようって結構悩んでたような気がします。就職どうしよう、とか。これで行こうってちゃんと思ったのは、大学を卒業してからですね。音大を出ても、全然関係ないところに就職する人って多いんですよ、仕事がないから。先生になるか、一握りの人がオーケストラに入ったり。僕はオケとかには興味なかったから、いろいろレコーディングとかに顔を出したりして仕事してましたね」



宝塚に正式に入るのには
あまり魅力を感じなかった


「仕事で言うと、19才ぐらいから外人バーで吹いてたんです。三宮と天王寺と梅田と心斎橋と京都、あと東京では六本木と渋谷にもあるんですけど、そこをずっとまわってて。ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズの曲とかをやってたんですよ。黒服を着てやってたりもしましたね。そのバンドは、みんな上手かったし、結構本格的でした。僕が一番年下だったから、いろいろ教えてもらったりしながら。すごく勉強になりましたね。曲はバリバリ難しかったから、ためになりましたよ。そのころが、今の自分を作ってますね。デカいッスよ、間違いない。
 そこで一緒だった人たちが、スカパンクのバンドを組んだりしてたんです。“横綱イチバン”ってバンドなんですけど、レコーディングとかは手伝いに行ってましたね。そいつらがスカパンクのバンドを始めたから、僕もちょっとハードコアとかスカコアとかを聴くようになったんです。初めてヴードゥー・グロウ・スカルズとかを聴き始めて、カッコいいなぁって。で、自分でもサンバというかロックサンバみたいなバンドをやってたんですよ。だから、ギターとかベースじゃなくて、トランペットでバンドに参加したのは、ポットショットが4〜5個目ですね。
 いろいろやりながらも、まだ不安はありました。今はいいけど、これじゃ暮らしていけないだろ、って。そんな感じで、仕事はやってたけど卒業までずっと考えてましたね。結局、就職も探さなかったんですよ、楽器浪人でもしようかなと思って(笑)。
 でも卒業間際に、僕の大学のときの師匠で、今もこの先も一生アタマ上がんない人がいるんですけど、宝塚歌劇団で吹いてた人で。その人から、1人エキストラが欲しいからオマエやらないかって言われたんです。とりあえずやってみようかなと思って、卒業したらスグ行きますって言ったんですよ。だけど、本番1回だけやったあとに交通事故に遭っちゃって(笑)。復帰するのに半年ぐらいかかりましたね。
 復帰してからは、いろいろ営業に行ったりしました。淡路島にテーマパークができたときに、オープニングのセレモニーでファンファーレ吹いたり。30秒ぐらい吹いて3万円とかもらえましたよ。そのころは、サンバのバンドが解体して少人数になったバンドと、宝塚と、たまに外人バンドをやってたのかな、回数はすごく少なかったけど。スカパンクとかも聴いてたから、そういうのもやりたいなぁと思ってたんです。
 宝塚に正式に入るっていうのには、あまり魅力を感じなかったし。みんな上手いから、そう簡単には入れないし。すごく不安でしたね」



ただでさえ物覚え悪いのに、いきなり
30曲とかリストもらっても(笑)


「そんな感じのときに、友達のバンドのトランペットの子から“ポットショットっていうバンドのトランペットが抜けた”って話を聞いたんです。名前はあまり覚えてなかったんだけど、曲は知ってて。で、横綱イチバンのトロンボーンの子が、チャッキーの電話番号を知ってたから、電話して自分がどんなの吹いてたかとか資料を送ったんです。そしたら、DJの仕事か何かでリョウジ君が大阪に来たんですよ。それが一昨年('99年)の2月か3月ごろかなぁ。
 なんか休みの日に心斎橋で初めて会って、“ウチはこんな感じでやってて”とか、いろいろ話してくれて、CDとかライヴでよくやる曲のリストをもらって。そのときは、今後正式にどうこうじゃなく、実際に何本かやってみないとわからないからって感じでしたね。
 そこから、バイト先のカラオケ屋さんで、ひたすら練習しました。ただでさえ物覚え悪いのに、いきなり30曲とかリストもらっても(笑)。酷でしたねー(笑)。ポットショットって、キーが同じ曲って結構多いんですよ。だから曲を覚えるのと同時に、その曲のタイトルを覚えるのも大変でしたね、英単語を覚えるような感じで。あと、ホーンらしからぬ フレーズが多いんで、戸惑いました。吹き方とかは自己流に変えちゃいましたけど」