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反抗期でもあったんですけど
すごいイジメっ子で悪ガキでしたね(笑)
「中学は豊北第一中学校です。中学になると、これまでみたいにバスがないんですよ、もっと遠いのに。だから、チャリンコで45分ぐらいかけて田舎道を通
ってました。泣きそうなくらい遠かったですよ(笑)。
中学の思い出は、やっぱりクラブを頑張ったことですね。運動が得意だったから、学校に入ってすぐ、いろんなクラブに誘われました。陸上とかいろいろ。でも結局、吹奏楽部に入って(笑)。ここでガラッと変わっちゃいましたね(笑)。
小学校では、運動会とかで必ずマーチングバンドをやってたんですよ、鼓笛隊を。僕は指揮者だったんですけど、練習のときに暇だから、トランペットとかもやってたんです。“貸して。どうやるの? こう? わかった”って感じで、適当に遊んでて楽しかったんですね。音はすぐ出たから、あとは要領っていうか。イイ加減なもんですよ(笑)。そんな感じで、中学でもトランペットをやろうかなと。大会とかもあって、部全体で出るのと5〜6人のアンサンブルとかがあったんですけど、アンサンブルのほうは支部大会とか結構いいところまで行きましたね。学校自体は人数は少なかったんだけど、部には結構たくさん入ってました。地区では上手いほうの学校だったみたいですね。
同じ部に親友が1人いて、同級生なんですけど彼の家は梨園をやってて、高校のとき夏休みはそこでバイトさせてもらってました。蛾が飛んできて梨の汁を吸うから、その蛾を捕まえて潰して袋に入れて1匹30円。僕、最高記録作りましたよ、1日で273匹(笑)。田舎ならではのバイトでした。彼とは今年の正月も会ってきたんですけど、ずーっと仲いいですね。そいつはチューバをやってたんですけど、クラブに入るときにトランペットとチューバでジャンケンして、僕が3回連続で勝っちゃったんですよ(笑)。負けたら僕、チューバでした(笑)。チューバだったら、中学の途中でやめてたでしょうね。重いから嫌いなんですよ、ああいうの。
だから、トランペットをやらなかったら、たぶん音楽の道には来てなかったんじゃないかなぁ。あ、でも高校までは、そんなに本気でやってたわけじゃないんですよ(笑)。とにかく遊び呆けてましたからね、悪いことも含め(笑)。そのころ、ちょうどヤンキーとかすごかったし、ウチの学校は特に悪かったみたいだから。ひどいもんでしたねー。僕も思いっきり、そこに入ってましたからねー(笑)。ウチの中学は、全員坊主だったんですよ。ソリ入れたりはしてないけど、脱色はしてましたね。怒られても無視で。退学とかないから、好き勝手やってました。反抗期でもあったんですけど、すごいイジメっ子で悪ガキでしたね(笑)。でも友達は多かったですよ、いろんなジャンルの友達。真面
目なヤツも、不良グループも、部活の友達もいたし。フラフラしてましたね。女の子は、まぁ何人かは付き合ったりしたけど、まだ野郎と遊ぶほうが楽しかったし、付き合ってるって言っても電話したりするぐらいとか、そんな程度で」
一時期は、髪の毛キンキンで革パン履いて
ヴィジュアル系みたいになってました(笑)
「中学3年ぐらいになると、結構バンドをやりたくなってたんですよ。トランペットじゃなくて、ギターで。最初、仲間内で決めてる担当はベースだったんですけど、ギターやるって言ってたヤツがヴォーカルになっちゃったから、僕がギターになったんです。そのバンドは、高校卒業までやってましたね。ほとんどコピーで、ジギーとか初期のエックス、あとガンズ&ローゼズとか。一時期は、髪の毛キンキンで革パン履いて、ヴィジュアル系みたいになってました(笑)、化粧はしなかったけど。パンクとかもあって、ユニオンジャックのTシャツ着てラバーソウル履いて、とか。よくわかんないバンドでしたよ(笑)。
結局ギターとベースで、確か4つか5つぐらい掛け持ちしてたんです。吹奏楽をやってたから、リズムとか音程にはうるさいじゃないですか。ギターもベースも上手くなかったけど、そのへんでは信頼されていたみたいです」
学校では週3日ぐらい、朝、授業が始まる前に
音楽の先生から理論を教わってました
「高校は豊北高等学校ってところだったんですけど、2年生ぐらいまでは“音楽で食っていきたい”とかは、あまり考えてなかったですね。ラッパよりギターだったんだけど、そのギターでどうこうしようとは思わなかった。自分の腕前は、わかってましたからね。
だけど、高校2年の終わりぐらいに、トランペットで大学に行こうかなって思ったんですよ、音楽大学へ。大学に行くのも面
白そうかなと思って。親は反対だったみたいですけどね、音楽で大学行ってもしょうがねぇだろって感じで。でも、したいことをすればいい、みたいな家だったから、結局は納得してくれました。で、入試で必要だからピアノを習い始めて。試験は、ピアノと音楽理論と聴音と歌があったんです。だから、トランペットも師匠に付きました。九州交響楽団の人で、クラブの先生の紹介か何かだったと思います。その人はホルンの人だったんですけど、僕は我流でやってたから、基本的なことを教わったんです。3年のときは毎週日曜日に、山口から福岡の香椎まで習いに行ってましたね。新幹線だと博多まで行っちゃうから、JRの快速か何かに乗って。門司で“かしわうどん”を食うのが、毎週楽しみで(笑)。うまいんですよ、これが。で、香椎の駅を出て、途中の神社でタバコを吸ってから、先生のところに行ってましたね(笑)。
学校では週3日ぐらい、朝、授業が始まる前に、音楽の先生から理論を教わってました。クラブが終わってからは、ピアノと歌と聴音を習いに行って。その頃ですね、いま思うと一番しんどかったのは。みんなが小さいころからやってることを、1年間で全部やろうとしましたから。大学に入れたのは奇跡に近いですね、ほんとツイてましたよ(笑)」
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(後編へ)
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