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3人姉弟の末っ子長男。男の子が生まれるの、
待ちに待たれてたんだと思います(笑)
「生まれたのは、山口県豊浦郡の病院です。姉が2人いて、4つ上と2つ上。3人姉弟の末っ子長男。名前は“光”っていう字をもらっていて、おじいちゃんが“光雄”で、おばあちゃんが“光子”、お父さんが“頼光”なんです。姉の名前には入ってないんですよね。たぶん長男だからかな? 男の子が生まれるの、待ちに待たれてたんだと思います(笑)。そういう話、詳しく聞いたことはないけど、だいたいわかりますね(笑)」
家の手伝いはやりましたね、田植えとか稲刈りとか。
だから僕、稲刈り機とか動かせますよ(笑)
「小さいころの記憶って結構あるんですよ、哺乳ビンくわえてることとか(笑)。おねしょした記憶もあるし、おばあちゃんにおんぶしてもらって、よく散歩してたとか。僕が生まれたときには、もうおじいちゃんはいなくて、父方のおばあちゃんと両親と姉弟3人の5人家族でした。猫が3匹ぐらいいて、ニワトリもいましたね、田舎だから。田舎の普通
の一軒家でした。一応、山に木とかあって、田んぼも畑もあったから、農業をやってたんですけど、いわゆる兼業農家ってやつですね。父は公務員で、郵便局員でした。母は家にいて。農業と言っても、自分ちで食べるくらいしか作ってなかったんですけどね。
姉弟ゲンカは普通にしてました。性格は、上の姉とは違うけど、下の姉とは似てましたね。まわりには家もそんなになくて、隣の家まで50メートルぐらい離れてたりするんですよ。だから、その一帯はみんな知り合いっていう、田舎特有の感じでした。いつも遊んでいたのは、100メートルぐらい離れてるところに住んでたひとつ年上の男の子で、その子とは高校までずっと遊んでましたね。僕は活発で、たぶん“くそガキ”でした(笑)。親は、すごく手を焼いていたみたいですよ。遊ぶのは山とか田んぼで、一歩外に出たらすでに“アウトドア”なんですよ、田舎だから(笑)。家を出たらキャンプ場みたいな感覚。ファミコンが出るまでは、外でずっと遊んでましたね。
小学校2〜3年生ぐらいだったかな、ファミコンが出て。すごく欲しくて、それまで“オモチャ欲しい”ってそんなに言わなかったからかもしれないけど、誕生日とかクリスマスとかじゃなく、何か無理矢理買ってもらったような気がします(笑)。夕飯は、可能な限り家族で一緒に食べてましたよ。ウチは土地柄、魚とか刺し身が多かったですね。あと野菜は全部ウチで作ったやつだから、いわゆるお総菜っぽいのが多かったですよ。家の手伝いは、時期によっていろいろやりましたね。田植えとか稲刈りとか、普通
に。だから僕、稲刈り機とか動かせますよ(笑)。まぁ田舎の子は、みんなできますけどね」
小学校のときは本当にスポーツ万能でしたね、
自分で言うのも何ですけど(笑)
「幼稚園は、バスに乗って通っていました。全然病気しない子だったから、休まずに行ったと思います。小学校は田耕(たすき)小学校って言って、幼稚園と同じバスで行くんですよ。姉もいたので、ずっと一緒に通
ってましたね。1学年に1クラスぐらいしかない、小さい学校で。すごく怖い先生が1人いたんですけど、なんか面
白いオッチャンって感じで、怖かったけど好きだったのを覚えてます。
僕はサッカーが上手かったんですけど、昼休みとか、帰りもバスが迎えに来るまで、ずっとサッカーをやっていました。小学校のときは本当にスポーツ万能でしたね、自分で言うのも何ですけど(笑)。町内で体育大会とかあるじゃないですか、小学校とか5〜6校集まって。ほとんどの種目で入賞していました。親譲りかどうかわからないけど、母ちゃんは得意だったって聞いたことがあります。僕も学校の授業では体育が一番好きで、スポーツ選手になれなれって、みんなに言われてたんですよ…なってないですけどね。今は正反対なことしてます(笑)。
4年生になって、剣道を始めたんですよ。まわりは、みんな3年生からやっていて、でも僕は嫌だって言ってたんだけど。ちょっと面
倒臭いけど、しょうがねぇって感じでやってみたら、それはそれで面白かったですね。大会とかにも出ましたし。田耕剣親会って言うんですけど、ウチは強かったですよ。小学校の間だったから丸3年やったんですけど、大将にもなりました。学校の成績は良かったですね、何もしなくても。苦手な科目とか、あまりなかったと思います」
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