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単純に、やれてるのが楽しかったですね。
スタジオに入ったりすること自体が
「で、サポートでレコーディングすることになったんですけど、頼まれ方が“一応テープ聴いといてください”って。だから“一応っていうのは?”って聞いたら、メンバーを探してるから“(頼むことは)ないと思います”と。でもホントに最後まで見つからなかったときに頼むかもしれない、って。そんなの聴くわけないじゃないですか。で、案の定、全然聴いてなくて(笑)。でも、結局お願いすることになったという話で、2週間くらいレコーディングする曲を聴いて、スタジオに行って。
それは『POTSHOT 'til I die』('99年サードアルバム)のレコーディングだったんですけど、サポートだし時間も全然なかったり…ひと月はあったと思うんですけど、覚え悪いでしょ(笑)。それプラス、アホかと思ったのは、ブリッツのライヴの話なんか一言も聞いてなかったんですよ。
スタジオで曲の練習が終わって、ちょっとミーティングしてるってことだったから“俺、入んなくてもいいのかな?”と思ってミーティングに加わったら、“この曲とこの曲とこの曲をやる”とかってライヴでやる曲の話をしてて、リョウジ君が“ライヴは、やってもらえますか?”って言うから“大丈夫だけど”って。そしたら“じゃあコレお願いします”みたいな。でも、そんな十何曲も覚えられないよぉ、って(笑)。しかも、ややこしいぞっていう。だけど、平気な顔して言ってくると、“それなりにできるでしょ、元プロなんだから”って言われてるみたいで。でも単純に、やれてるのが楽しかったですね。スタジオに入ったりすること自体が」
“俺はサポートなんだな。そっかそっか、いいや”って。
でも、どっかで確認したんですよね、リョウジ君に
「ただ、俺自身は“いいのかな、いいのかな”って。全然、的を得なかったんですよね。俺の中のスカバンドのイメージとリョウジ君のやろうとしている感じが、全然違って。だから、そのバンドのポテンシャルとかが俺によって変わるのは良くないなと思ったから、もっと言ってくれ、って。いわゆるスカバンドとかパンクバンドで僕が知ってる感じっていうのは、マイティ・マイティ・ボストーンズみたいなのだったから、だったら俺は“たぶん違うような気がするから”って言ったら、リョウジ君は“いや、いいですよ。僕がしたいのはコレだから”って。ヘンな人だなぁ、と(笑)。それもあって、これでいいのかなぁって、ずーっと思いながらライヴやって。
でも、僕の中で180度転換してるのは、それまで革パンにブーツ履いてたじゃないですか。だから半ズボン履くっていうのも、自分にとってはすごいことだったんですけど、もうスタイルとかそんなことはどうでも良くて。なんか“やらせてくれてありがとう”だったんですよね。だから、このまま続けてやりたいと思いましたけど、あとは年令のことがすごく引っ掛かってて。自分から、やらせてくれと簡単には言えないなと思いましたね。それを言うと、リョウジ君が断りづらくて迷惑かな、とか。で、コバヤシ君に言ったら“自分からは何とも言えん”と。コバヤシ君も同じで、コバヤシ君がリョウジ君に“市川クンでやりたいんだけど”って言うと、なんか強制的なニュアンスになるかもしれないから、それが嫌で“ちょっとよう言わんね”って。
それで、赤坂ブリッツのライヴの打ち上げで飲んでて、言ったと思うんですよね。でも、どういう話をしたかっていうのが…あまり覚えてない。確か、リョウジ君は“このままやってくれます?”だったんですよ。だから“もちろん、このままやりたい”って。でも、メンバーになります、とかっていうのではなかったっていうか。メジャーバンドじゃないから、まどろっこしい契約とかはないじゃないですか。だから、いつから俺はメンバーなんだっていう意識が、ずっとなくて。
そのころ結婚はしてたんですけど、カミサンは反対っていうか“また始めんの? 本気で?”って。俺は“まぁいいじゃないか”と。自分の戒めのために結婚したんですよね、責任感を持とう、と。ダメなときの踏ん切りがつけられるように。そうじゃないと、ダラダラダラダラしちゃうから。こういう人間だから、どっかで何かしとかないと全部怠惰になってくるというか(笑)。で、結局やり始めて、ツアーやったりして楽しかったんですよね。
そうそう、チラシ…会報みたいなの(『TV-FREAK新聞』)があって、ずっと“サポート”になってたんですよ。だから、それを見ながら“あぁ俺はサポートなんだな。そっかそっか、いいや”って。でも、どっかで確認したんですよね、リョウジ君に。たぶん('99年の)冬のツアーのときでしたね。夏は、まだサポートだったから」
みんな遠慮して怒れないわけですよ。でも
リョウジ君は怒りますけどね、俺のことを(笑)
「でも、いろんなことが勉強になりましたよ。何でも自分たちでやろうとする、手作りな感じとか。だから、一からやり直しだなって。もう、やったことねぇなっていう初めて尽くし。短パンな自分も初めてだったら、アンプとかをセッティングしてる自分も初めてだったし。もちろんツラい部分は、あったと思いますよ。言える立場じゃなかったんですけど。しかもコバヤシ君がやってるし。
やっぱりラッキーですよね。だから、俺が何かやったんだっていう意識は、今でもないです。たぶん俺じゃなくても、こうなれてたんじゃないかなと思うから、ここにいられることがラッキーだったな、と。でも今はバンドの中に、いい緊張感が少なからずあって。だから、辞めることは簡単だから、それまでなるべく辞めないように…辞めることにならないような意識で。まぁでもホント、リョウジ君からは怒られる側にいますよ、もちろん。そうですね、怒られる側ですね。でも、みんな遠慮するんですよね。サトシとかチャッキーにしてもそうだし。チャッキーとは5つ違うのかな。でも5つなんて関係ないですよね、まこっちゃんと俺が付き合ったように。まぁあれは、まこっちゃんに感謝なんで。だから全然、僕はOKなんですけど、まわりが…。まだ遠慮されてるのかな? だから怒れないわけですよ。リョウジ君は怒りますけどね、俺のことを(笑)。
かと言って、たとえばリョウジ君がメンバーに怒る前に自分が怒ってみるとか、そういう役割は果たせないんですよね、残念ながら。マルチな人間じゃないから、そこまで行けないんです。ただ、メンバーが6人いて、たとえばつるむのが2対2対2とか3対3に分かれるじゃないですか。そうすると何チーム、何チームってなりがちなんですけど、俺たちはないですね。誰とでも…僕自身が誰と2人きりでいても構わないっていう感じがあって、そういうムードがバンドとしてすごくいいんですよね。でも、メンバーがダメな方向に向かうときも、そのまま向かっちゃうじゃないですか、情けと居心地で。やっぱり良くなくなってきたときに解散っていうのは、すごくイヤだと思うんですよ。だから、もし自分が原因だったり自分がアカンと思ったら“俺だけ辞めるから続けてくれ!”って。もちろん、そんなことにならないように頑張りますけど、でも何かあったときは先に自分でジャッジしたいなっていう。で、“辞める”って言ったら止めてくれ(笑)。“えっ、止めないの?”っていう(笑)」
いいときがあって悪いときがあって、でも
平らにして普通であれば。それが理想かなって
「到達点とか物質的な目標は、ないですね。10年後とか20年後とかでも、今みたいな感じで楽しくステージができてたら、っていうのが一番の理想ですよね。数字だとかは、本音言うと興味ないです。今と同じように楽しくやっていられれば、何の問題もない。でも、とにかくキツくなっていくのは当然で、悲しくもなるだろうけど。でも、それは止められないし、維持っていうのも違うし。このまま上がっていくのか下がっていくのか、それを気にしてるとしょうがないから。だからバカな答えを言うと、面白ければいい。悲壮感を漂わせずに。“頑張ってんだ、俺は!”っていうのも、ちょっと違うと思うから。
ただ、何でも“明日は我が身”だから。神輿に乗って…乗れない奴もダメですけど、乗っけられてるのも違うし。たとえば知り合いに“すごいね”って言われたりするんですけど、俺自身は変わってないわけですよ。で、ちょっと被害妄想的に言うと、やっぱり忙しくて人と会える時間がないとか、そういうことを余計に考えちゃったり。どう思われちゃうんだろう、とか。で、たまに会うとバンドやってる奴だと“一緒にやらしてよ”とか。“『やらしてよ』じゃなくて『一緒にやらない?』じゃん! ちょっと違うぞ”って思いますよね。冗談なのかもしれないんだけど、その冗談をどう取っていいかわからないんですよ。まぁネガティヴなわけではないんだけど、やっぱり自分が下がっていくこともあり得るわけで。調子に乗って、自分の言葉によって潰されないようにはしたいなっていうか(笑)。
一個人としては、幸せだったらいいなって(笑)。かと言って、貧乏でギリギリの生活はしたくないですけど。で、好きなことをやれたらいいなって思います。でも、あまり考えてないですね。考え出すと不安になるから、ホントに。追い込まれちゃうから、なるべく何も考えないように…。たぶん、それがいけないんですけどね。ボケーッとしてる原因でもあるんですけど(笑)。でもホントに、いいときがあって悪いときがあって、でも平らにして普通であれば。普通って言うのも曖昧だけど、自分の育った家が貧乏だっていう意識はないし、だからって金持ちでもなかったと思うしね。だから普通に。それが理想かなって」
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