楽しい5年間でしたね。みんな前向きで
クリエイティヴだったから


「ザ・ストリート・ビーツを辞めて、そのあとジーナを結成するまでの約1年間はバイトして…3つしましたね。オモチャ屋っていうかエロ本屋で働いて、いわゆる配送…仕分けのところに行って。あとは、その間に何かあったらチョコチョコっとやる感じ。
 ジーナは、秀樹(元デラックスの榊原秀樹/Gt)と、まこっちゃん(元ボウイ〜デラックスの高橋まこと/Dr)と一緒にやろうってことで、ジミー(Vo)は“一回試してみよう”と。で、デラックスの事務所がしっかりした会社で、解散しても効力があって秀樹たちのやることをサポートするってことだったらしくて、ライヴをやるときも新宿ロフトを押さえてもらったり、対バンに入れてもらったりとか。ジーナは意外に長かったんですよ。5年やってますからね。アルバムも3枚リリースしてるし。
 ジーナをやってて良かったこととか辛かったことっていうと、良かったことのほうが多いですね。当初からの目標通り、いろいろチャレンジしながら“あ、俺ってダメだな”って思いました。曲作りとか、自分は才能ねぇなって。良い悪いの結果は置いといて、いい経験でしたね、自分に向いてることが何なのか、わかったから。あと僕、昔からドラマーには恵まれてるんじゃないかな。まこっちゃんもショウジ(ex.ザ・ストリート・ビーツ/Dr)も、はじめはガチガチだったんですよ、神経性のハゲができるくらい。でも、“これじゃアカン。いいや、年の差なんて関係ねぇや”と思って、まこっちゃん呼ばわりして。で、“まこと!”とか言いながらやれたりする関係になって。で、音楽って素晴らしいな、と。
 だから、楽しい5年間でしたね。セールス的には、たぶん厳しかったんですけど。でも、最後まで全然辞める気はなかったんですよ。みんな前向きでクリエイティヴだったから、そういう評価は気にしなかったですね。あとビーツと完全に違ったのは、ミーティングやら何やらを全員でやってた。ダイレクトに意見を交えながら、どうなっていくかを知ってたから…。良い悪いは関係なしに、こういうやり方もあるんだな、と。俺はアホって言えばアホなんだけど、でもアホな奴がアホなままだと思われてるとムカついてくるじゃないですか。アホなりに知りたかったり、アホなりにちょっと脳味噌はあるぞっていう。ザ・ストリート・ビーツのころは、オキ(ザ・ストリート・ビーツのリーダー/Vo&Gt)が悪いんじゃなくて、知らなくていいこともあるんだなと思いながらも、自分が黙ってられない人間だっただけで」


広島に帰ろうかなっていうのもどっかにあったけど
まだやりたいなっていうのが強かったですね


「ジーナの最後は、解散だったのかな…微妙なところだったと思うんですよね。ホント、キレた的に突然辞めたから。言い出しっぺは僕なんですけど、せっかく良かったところで言ったのも、とにかくバンドが好きで音楽が好きで集まってる感じがあったのに、ちょっとそうじゃない雰囲気が出たんですよ。恵まれてたバンドだったから、結構いいスタジオでやらせてもらったりしてたんだけど、ちょっとすべて休もう、って。ライヴとかやり過ぎてて、成長が見えなくなってたというか、捨ててるものが多いというか…もう惰性でやっちゃってるんじゃないかっていう。でも、そこで辞めるんじゃなくて、ちょっと冷静になって一回リフレッシュして、時間を置いてまた集まると、もっと良くなるだろうってことで。
 でも、まこっちゃんなんか、はりきって一番最初にスタジオに来てたんですよ。でも、こんな言い方するとアレなんですけど、ひと月ぶり、ふた二月ぶりに音出したのに、スタジオに来ないメンバーもいて。で、またやっぱり来なくて、まぁいいやって3人でやってた次の日、3時間とかの練習で2時間近く遅れて来て、なんかキツい雰囲気で…。もう俺、プチッとキレて、怒るというよりも“面白くない奴は辞めたほうがいいぞ、無理してやるもんじゃないから”っていう感じになったんですよね。
 それで、その場でほぼ解散が決まったというか。俺、会社員になったことないけど、“好きだからやってることなのに、ツラいなって思いながらやるんだったら就職したほうがいいんじゃないの?”と。俺だってリハーサル嫌いで、ハッキリ言ってライヴやってるときだけが楽しいくらい。ただ、そのための面倒くせぇものだっていう…。なのに、そのためならば楽しくできる、っていうのがなくなってるなって感じましたね。そこで彼も、やらなきゃいけないってことで過敏になりすぎたのか、まぁ対処しきれなくなったんだと思うんですけど。だから、それならやめればいいや、って。やめるのは簡単ですからね。それで、次に入ってた渋谷の屋根裏でのライヴを最後にしたんです。もう突然…。
 で、ジュン・スカイ・ウォーカーズはもう解散してて、屋根裏でのライヴのあとに、遊びでコバヤシ君と純太クン(森純太/Gt)と俺で1本ライヴをやるって話が入ってたんです。そのときは別にジーナは解散する気はなかったから、折り込みチラシに普通に自分らの名前を入れてたんですよ。それが、また“今度はそのバンドやるんだ”って思われたみたいで(笑)。俺も、まぁいいやと思いながら、そのときは悩んだかな。どうすればいいかな、またバンドしようかな、って。事務所に残るっていう考え方はなかったんですけど。あと、広島に帰ろうかなっていうのも、どっかにありましたよ。でも、まだやりたいなっていうのが強かったですね」


“若いバンドだろ?”って感じで、
入ってはいけない気がしてたんですよ


「それからポットショットをやるまでは2年ぐらいあるんですけど、何かしなくちゃいかんと思って、曲を作ったりはしてたんですよ。そう簡単にメンバーも集まらないから、できることを。でも働かなくちゃならないから、バイトにも追われたりして。オモチャ屋…アダルトショップとかの、うさん臭いところで住み込みで働いてましたね。でも、それも人に比べたらラッキーですよね、きっと。バイトはしてるけど、住み込ませてくれるところがあったり。
 スタジオ入ってセッションとかは、そんなにしてないですね。何か目的がないと、セッションするっていうのもなかったです。たとえば、純太クンに“ライヴやるからベース弾いて”って頼まれたり、尾上(ex.カッツェ/Gt)クンが“ライヴあるんだけどベースいないからやって”とか、そういうチョイチョイで。でもまぁ、やれてるというか…。オカやん(元アンジーの岡本有史/Ba)を通じて、そういうのが大事だって知ってたから。もう何でもやろう、って。
 だから、ポットショットのサポートの話も、そういう話の中のひとつでしたね、たぶん…間違いなく。今、すごく失礼でしたね(笑)。失礼というか、ハナっからやらないだろうなぁと思ってましたね。ちょうど水戸クン(元アンジーの水戸華之介/Vo)のツアーが終わったあとに、水戸クンとかと飲んでたんだと思うんですけど、“ベースがいない”ってコバヤシ君が言ってて。だけど、そのときは“若いバンドだろ?”って感じで、入ってはいけない気がしてたんですよ。でも、コバヤシ君はバンドやれててイイなぁとは思ってて。ポットショットがそんなに勢いあるとは知らなかったんですけど、でも話を聞いてるとコバヤシ君は楽しそうで、イイなぁって」