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掛布が好きだから、阪神タイガースの応援団で
2年間トランペットを吹いてました
「高校1年のときに、球場にトランペットを吹きにいったんですよ、阪神の応援団で。きっかけは、なんか吹きたいって思っただけなんですよね。最初は、高1のときにクラスに吹奏楽部の人がいて、“教えてよ”って言ったら“トランペット持ってるからあげるよ”って。どこのメーカーかもわからないんですけど、それをいつも休み時間にベランダで吹いてたんです。みんな下からベランダを見て、“また吹いてるよ”みたいな(笑)。
それで、クラスに阪神ファンの人がいて、“トランペット吹ける、いいところがあるから”って連れて行かれたんです、球場に(笑)。応援団はメチャクチャ厳しいらしいっていうのは聞いてたんですけど、やっぱりメチャクチャ怖かったですね。でも掛布が好きだから応援団は続けて、トランペット吹いてました。まぁそのときは、もう掛布は引退してたんですけどね。2年間やってましたね。高校生ながら夏の間に2回、甲子園球場に遠征したり。だから、だいたい年に40試合は見たんじゃないかな。で、日頃は上の人たちが席取りをやってるから、夏休みの間は僕たちが席取りするって言って、夜10時ぐらいから寝っ転がって待って、翌日の昼の3時ぐらいに入れるっていう(笑)」
バンドはヴォーカルで。僕、声が高かったから
ハイトーン系も歌えたんですよ(笑)
「高校1年のときからバンドもやってたんですけどね、ヴォーカルで。一番最初にやった曲は、『アナーキー・イン・ザ・U.K.』(セックス・ピストルズ)。で、ジギーの『アイム・ゲッティン・ブルー』とか『トーキョー・シティ・ナイト』なんかをやって、そのあとすぐに洋楽をやり始めちゃいましたね。 メタルとスラッシュの全盛期だったから、僕以外はみんなメタルとスラッシュが大好きで。できないのにメタリカやって(笑)、アンスラックスもやったり。あとジャーマンメタルも流行ってたから、ハロウィンとか。僕、声がちょっと高かったからハイトーン系も歌えたんですよ(笑)。
で、学祭でやったり、2年3年のときは年に5回ぐらいだけどライヴハウスでもやりました、千葉ルックで。この間、ポットショットのツアーで行ったんですけど('00年10/16)、店長の斉藤さん、僕のこと覚えてなくて。“やってたんスよ”とか言ったら、“そうなんだ〜”って(笑)。まぁ本格的じゃない、よくいる学祭コピーバンドですからね」
“俺も頑張ったらできるのかな”
っていう感覚があったんです
「それで、大学3年のころから、またコピーバンドを始めたんです。NOFXとかペニーワイズとかバッド・レリジョンとかスナッフとかのコピーで、僕はトランペットとヴォーカル。でも、就職活動が始まるからってことで辞めて。3年の1〜2月ぐらいから髪も短くして、スーツ着て。5月には決まってましたね、3つくらい内定もらって。で、就職活動が終わってから、また遊びでバンドやってましたね。
でも卒業するころに、みんなに本気で“バンドやらない?”って言ってたんですよ。“今からオリジナルやったら絶対いいバンドできるよ”って。何もわかってなかったんですけどね(笑)。当時、日本ではハイ・スタンダードがいて、コークヘッド・ヒップスターズがいて、スーパー・ステューピッドがいて。NOFXとかの外人バンドの前座やったりして、いいなぁとか思ってたんですけど。
で、ちょうど渋谷ギグアンティックが盛り上がってきてたんですよ。ハスキング・ビーとかシャーベットとか、一生懸命やってて。そこで“俺も頑張ったらできるのかな”っていう感覚があったんですよね。それで、みんなに声をかけたんですけど、みんな本気でやるのは嫌だって。だから“俺は本気でバンドやるから、もう遊びでやるのはやめようね”って言って、僕は決まってた就職先を入社式の寸前に蹴ったんです。3月25日だったかな(笑)。
卒業してからメンバーを募集して、“ストローク”っていうバンドを組んだんですけど、パートはギターです。バンドやるためにはギター弾けなきゃって思ったのと、やっぱりヴォーカルのキャラじゃないなって(笑)。で、曲はほとんど僕が書いて。オムニバスアルバムに収録されたこともあるんですよ、スカイの『PUNKER
SHOT 1』の1曲目とコンチレンチレコードのオムニバスで4曲目。
そのバンドは1年ぐらいやってて、現ロング・スケールのツヨシ(Ba,Vo)とも一時期、一緒にやってたんですよ。でも、みんな本気でやりたいんだけど、お互いまだ若かったから、筋が通ってなくて考え方が合わなかったり。で、じゃあやめようかって感じで」
本気でやるために就職という道を捨てたわけだから
“やるしかない”って気持ちがありましたね
「ちょうどそのころ、ポットショットはファーストアルバム『POTS AND SHOTS』(97年)のレコーディングで、プリ・スクールのメジャーデビューでメンバーが抜けたあとだったんですよね。で、リョウちゃんは前から知り合いで、僕のバンドのテープとか渡したりしてたんですけど、“チャッキー、トランペットできるんだって?”って。それでポットショットに入ることになったんですけど、タイミング的にレコーディングには間に合いませんでしたね。コーラスだけです、遊びでスタジオ入って。でも、その後、僕が結局トランペットを吹けなくて(笑)、確か8月29日ぐらいからトロンボーンを練習し始めたんです。10月のツアーのときにはトロンボーンで出ましたね。
それからは“上手くならなきゃ、どうしよう!?”っていう。単純に“難しい、何が何だかわかんない、みんなどうして上手いんだ!?”って。でも、やめようとは全然思いませんでしたね。適当にやるもんじゃないな、真面目にやってる人に失礼だな、と。だから、とにかく練習が大事だ、みたいな感じで。暴れるだけじゃダメだ、吹かないと、って。
でも、吹くだけじゃ違う。そういう技術的な部分と、バンドを盛り上げるパフォーマンス的な部分で、簡単に歩み寄れるようなものでもなかったから…。そこは“やるしかない”っていうか、やるために普通の就職っていう道を捨てたわけだから、っていう気持ちがありましたね」
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