●白水さんと“ドラム”の出会いって、いつだったんですか?
「ドラムはですね、気づいた頃には、もう家の倉庫に2体もあったんです。高校のときに“何でだろう”って思って父親に聞いたら、親戚 の叔父さんとか、従兄弟、ドラムをやってきた人数を合わせたら、僕で10人目だったんですよ」
●ドラマー一家だ(笑)。もうドラマーになるべくして、生まれてきた環境じゃないですか。
「コレはすごいなと思って。家も、おばあちゃんが住んでいた家のあったところに新築した家だったから。その家から、ドラム息子(笑)がイッパイ出ていったという感じで(笑)。結局プロにはなれなかった人たちが、置いていったモノだったんですね。父親はキーボードをやっていたみたいなんですけど」
●そういう環境だと、無意識のうちにドラムを始めてしまいそうですよね。
「そうなんですよ。妹がいるんですけど、ピアノをやっていて。前々から音楽一家だということは、何となく気づいていたんですけど(笑)、自分がやるとは思ってなかったんですよね。ただドラムもあったし、高校のときにバンドをやろうっていう話になって、“何やる?”って言われたから、“じゃあ、家にドラムあるから、ドラム!”みたいな感じで(笑)」
●音楽が好き、嫌いという意識が芽生える前に、もう環境の中に音楽がたくさんあったという感じですね。
「そうです。でも、音楽は嫌いでした。音楽の時間ってあるじゃないですか。笛が吹けなかったんです(笑)」
●(笑)。指が上手く押さえられなかったとか。
「そう(笑)。わからなかったんですよ。それで先生に一度怒られて、そこからもう音楽はダメなんだと(笑)」
●そこからは、音楽を進んで聴くこともしなかったんですか?
「今は洋楽とかも聴くようになったんですけど、ちょっと前までは全然聴かなかったですね」
●でも、環境的に音楽を聴く機会は多くないですか?
「音楽は常に流れてるんですけど、“ウルセーなー! 何でピアノ弾いてんだよ”ぐらいな勢いで(笑)」
●そんな音楽嫌いの白水さんが、なぜ高校になってバンドをやろうと思ったんです? やっぱりドラムは叩いてみたかったとか。
「まあ、倉庫から出して叩いてみたことはあったんですよ。でも叩けないじゃないですか。でも、高校の音楽の授業のときに、ドラムがあって、“フッ”と思ったんですよ。“ここで叩けたら、俺はカッコイイ”と(笑)」
●モテるかも…という気持ちもあったりしました(笑)?
「ありました。モテるかもって(笑)。そこから練習を始めて、ほかにギターとベースができる友達がいたから、“じゃあやろうか”って。それが僕のドラムの原点ですね(笑)」
●ある意味、不純な動機(笑)で始めたドラムかもしれませんが、現在は確実にそれだけではなくなってますよね。今はドラムがどんな存在になってますか?
「今は、次のツアーに向けて、リハーサルに入ってるんですけど、ギターの連中にいろいろ言われるんですよ。リズムがよれてるとか、自分が気づかなかったところを指摘されて、“ああ、ドラムをナメてたな”と思ったんですよ。ここのところ毎日、女雅と個人練習に入って、基礎を固めていってるんですけど、ドラムに対する気持ちが昔と全然違うなと思って」
●より、プロとしての意識が高まったという感じですか?
「プロ意識という部分は、より強く感じるようになりましたね。やっぱり、大きなところでやるようになると、それなりに多くのスタッフも動くし、大きなお金も動いているだろうし。一つのショーとして、みんなが感動するものを作ろうと思うと、生半可な気持ちではできないですよね。それは本当に思います」
●これから先、どんなドラマーになっていきたいと思います?
「僕は、あまり力がないほうなんですよ。デカイ音で叩くためには、ある程度の腕力もないといけないだろうと思うんですよ。最初は、別 に力がなくても、弱い音が叩けるドラマーがカッコイイと思っていたんです。ジャズの人とか。それが最近、いろいろな人と接しているうちに、“こういうのを聴いてみたほうがいいよ”とか、“こういうドラマーもいるから見てきたら”とか言われて、いろいろ見に行って、強く叩けるドラマーって気持ち良いなと思うようになったんです。プラス、繊細な部分も出せたらいいなと思っていて。最終的には、ドラムで自分自身を表現できたらいいなと思います」



●北海道というと、白水さんの故郷ですよね?
「そうです」
●どんな街なんですか?
「この街はですね、音楽がけっこう溢れていたんですよ。ドラマーも多かったんですよね。ただ、ライヴハウスもあるんですけど、高校生だとできないじゃないですか。だから、小さい会館を借りてライヴをやったりしかできないんですけど。ライヴをやっていくうちにですね、“白水はスゴイ!”みたいな感じになったんですよ(笑)。そうすると、いろいろな学校に“白水はスゴイ!”“白水はスゴイ!”ってまわっていって…(笑)」
●じゃあ、地元ではかなり有名だったんですね。
「はい(笑)。一時期、天狗になってました(笑)。“俺はスゲエぞ!”みたいな」
●いろいろなバンドの誘いも多かったんじゃないですか?
「そうですね、かけもちで4つくらいやってました」
●当時はどんなバンドをやっていたんですか?
「ドラムを始めるきっかけになった、ギターとベースが、インディーズのヴィジュアル系が好きだったんですよ。ガーゴイルとかDEAD POP STARSとか、黒蝪蝶とか。、そういうのをコピーしてましたね。でも、そのとき天狗になっていなかったら、僕はここにいないです(笑) 」



●上京してきたのはいつごろになるんですか?
「高校を卒業した3日後にきました」
●それは当然、東京でバンドをやろうと思ってですよね?
「はい。高校の頃からのバンドのメンバーも一緒に上京してきて、最初は某専門学校に行ってたんですけど…。その頃の住んでいた部屋には、何もなかったんですよ。布団だけみたいな(笑)。親戚 の叔父さんの仕事場の二階に住んでいたんで、家賃はなかったから、それは助かったんですけど。テレビもなければ、冷蔵庫もないし、エアコンもないんですよ(笑)。そこで、せっせとバイトをして、少しづつ揃えました」
●東京にはすぐになじめました?
「できなかったですね。当時、埼玉の越谷市に住んでいて、学校が(新宿区)高田馬場にあったんですけど、高田馬場に素直に行けなかったんですよ。もう、電車が怖くて(笑)。駅員さんに聞いても冷たいし。だから、最初は遠まわりして行ったりしてましたよね(笑)」
●メンバーも上京してきたから、バンドはすぐに始めることができたんですよね?
「そうですね。活動というか、スタジオに入って、将来のプランを考えたり…」
●前のキーワードで、地元ではかなり天狗になって、そのままの勢いで出てきたと言っていたじゃないですか。東京に来てからも、その自信はそのままでした? それとも、挫折みたいなものを感じたりすることもありました?
「挫折はしました(苦笑)。入学してすぐに、ランクのクラス分け試験があったんですよ。僕、ヤバかったんですよ。10段階あって、1が一番スゴイとしたら、4とか3くらいだったんですよ。5から下の人は、もうほとんど初心者みたいな人で。“ダブルストロークやってください”って言われても、“エエエ〜? 何ですか、それ??”みたいな(笑)。ただただ、CDのドラムを聴いて、コピーしているだけだったんで、“タブ譜を読め”って言われても読めなかったし。ドラムに対して何かを言われても、“それって何ですか?”と言うしかできなかった」
●でも、そのままだと悔しいですよね? そこからいろいろ勉強したりしました?
「そうですね、“悔しい”と思って辞めたんですよ(苦笑)。2ヶ月で辞めました。バンドもやって、バイトもやって、学校も行ってだったから、練習する時間がないんですよ。学校に行くのが練習みたいな。でも、それが違うなと。だから、どれかを削るとしたら、学校しかないなと(笑)」
●学校を辞めたこと、後悔してます?
「後悔はしてないです。実は、辞めたきっかけもちゃんとあって。一志と会ったんですよ、学校で」
●一志さんも同じ学校だったんですね。
「そうです。(一志は)ヴォーカル科にいましたね。ある日、一志が歩み寄ってきて“ドラムやらない?”って(笑)」
●ナンパされちゃったんだ(笑)。
「そう(笑)。“何やるの?”って聞いたら、○○○とか○○○とかって言うから、“え〜…”とか思ったんですけど、“いいよ〜”って(笑)。“友達増やそう。”みたいな(笑)」
●それまで面識もなく、いきなり話しかけられたんですか(笑)?
「そうです。全然ないです(笑)。ドラムのスティックを持ってたからかな? 髪がピンクだったからかな?」
●好みだったんじゃないですか(笑)?
「惚れたんですよ(笑)」
●それで一志さんとバンドを始めて、どんな感じでした?
「“合わない…”って
●ええ〜(笑)。
「(笑)。最初は正直、合わなかったですから。やろうとしてた曲も違ったし。だけど、いつの間にか、“一志じゃなきゃダメだな”って思うようになったんですけど」



●ドラムの話は、一番最初のキーワードでも出ているんですが、この【初ドラム】というキーワードは、初めてステージでドラムを叩いたときのことですか? それとも…?
「いや、東京に出てきて、一番最初のライヴですね」
●それは一志さんと出会ったあとですか? それとも、それより前に?
「一志と女雅と僕でやったときですね」
●そのメンバーで、初ドラムを叩いた場所は、どこだったんですか?
「浦和ナルシスです」
●どんなバンドで、どんな楽曲を? 今とは全然違うんですか?
「はい、違いますね。ラルク アン シエルみたいでした。メロディアスな聴きやすい感じの」
●どんなライヴになったんですか?
「あの、そのときもヴィジュアル系だったんですけど、ヴィジュアル系じゃなかったです(笑)」
●(笑)??
「メイクができなくて、すごい顔になっていたという(笑)。ゾンビみたいな(笑)。初めて東京でやったライヴで、初めてメイクをしたんですよ。もう、グチャグチャでした」
●プレイ面はどうでした?
「対バンのほかのドラムを見て、衝撃を受けましたね。そのときは、“全員に負けたな”って思いました。理論もわからなかったから、シンコペーションをやっているバンドがいたら、“え、アレってどうやってるの?”みたいな。それからは、良いところは盗んで、いらないところは捨てて」
●そういう意味では、意固地にならず、いろいろなものを素直に吸収していったんですね。
「そうです。そのころは、“自分がヘタだ”という気持ちがずっとあったんで。天狗になんかなれず、“俺はヤバイ”って」
●でも、ここまで活動を続けてきて、天狗になるとかそういう意味ではない、自信もついたんじゃないですか?
「はい。あの日があったから、今も耐えられるなと(笑)。だから今はメイクも集中するし、ドラムも練習するんですよね」



●初ワンマンというと、昨年3/3の、渋谷オンエアーウエストになりますよね。
「このライヴは、感激の連続でしたね。ステージを見るじゃないですか。作っている過程から、スゴイなって。あのときは、ある意味、何もわからない状態だったので、みんなでいろいろ考えて、できる限りやってみようと。だからステージにも凝ったし、そのときは曲もそう多くなかったんですけど、その中でどれだけ見せられるかを考えたし」
●一番感動したシーンって、どの場面でした?
「やっぱり一番最後ですね。アンコールも終わって、桜の花びらが舞ったときですね。“わ〜スゴイな”って」
●泣いたりしてました?
「いや、泣いてません。みんなは泣いてました。僕は泣いてません(笑)」
●泣き顔は見せない(笑)?
「いや〜、それもあります」
●男の子だし(笑)。
「はい、男の子なので(笑)」
●これからも忘れることはできない?
「そうですね、たぶん忘れることはできないですね」