●次回「その15」は6/1UP予定です。
たきがわ いちろう
'68年1月5日、京都市生まれ。
'83年D'ERLANGER結成、'90年メジャーデビュー、解散。
'92年BODY結成、'94年デビュー、解散。
同年CRAZE結成、'95年デビュー、現在に至る。

 

 


「44マグナムの“Bombard Attack Tour”(85年)で初めて哲に会って、次に再会したのは、大宮フリークスで同じイベントに出演したとき。会場に到着して、ほかのバンドの機材搬入が終わるのを待ってたんです。そしたら誰か来て、“一郎クンいる? 哲だけど覚えてる?”って。そのときの再会が、お互いミュージシャンとしての初めての出会い。
 そのとき彼はサーベルタイガーで、hideがいてkyoちゃんが歌ってて。ジュンヤのおかげで鹿鳴館にブッキングされて、初めて東京でライヴやったときも、たまたま対バンがサーベルタイガーやったんですけど、そのときは哲もkyoちゃんもまだ加入していないころですね。
 その後、哲がサーベルタイガーを抜けて次のバンド(メフィストフェレス)をやってるときに、デランジェと一緒に3ヶ所ぐらいツアーで回ったんです。そのとき、単純に“こんなドラムがウチのドラムだったらいいのにな”って思って。で、そののちに京都のスポーツバレーっていう遊園地みたいなところでイベントがあって、エックスとかジギーとか、いろんなバンドが出たんです。哲もメフィストフェレスで出てて、俺はデランジェで出てて。で、お互いライヴが終わって楽屋裏で話してたら、哲が“もう今のバンド辞めるんだ”って言うわけですよ。でも、そのときは、ゆっくり話せる時間はなくて。
 で、哲は東京に戻って、俺は京都で、ゴッツい長電話して月の電話代15万円(笑)。延々と話して、“一緒にやろう”と。で、デランジェのドラムの奴には“すまん”って(笑)。福井クンとSEELAクンと俺で説得して、強引に替えましたね。
 で、2トン車みたいなの借りて、哲を東京まで迎えに行って、夜逃げみたいな勢いで荷物を全部積んで、京都に連れて帰ったんです(笑)。
 ちょうど哲は哲で、東京にいたくない、それこそ“アメリカ行って修行”ぐらいなこと言ってたところを誘ったわけだから。環境を変えたかったんだろうし…だから、すんなり京都に来てくれて。普通 、こっちが東京に出ていくやないですか(笑)。でも、それから1年半ぐらい京都でやってましたね。
 哲に“任すわ”って言われてたから、俺の家から5分ぐらいのところに部屋も見つけてあって。哲からはかなりクレーム来ましたけどね、養豚所が裏にあって“くせぇ”って(笑)。
 あとデランジェのテープ送って、コピーしといて、って。で、京都に来たらスタジオ入って、もう来月にはツアー始まるし、みたいな。デビュー戦は京都ビッグバンでしたね。確か('87年)11月4日だったと思うんですけど」
44マグナム/メンバーは、PAULこと梅原達也(Vo)、JIMMYこと広瀬さとし(Gt)、BANこと吉川裕規(Ba)、JOEこと宮脇知史(Dr)。77年結成。82年、マリノとともに“関西ヘヴィメタルなぐり込みギグ”を展開、全国的な知名度と人気を得る。83年デビュー。その後、音楽性やヴィジュアル面 での劇的な変遷などを経て、89年解散。2000年12/21には10枚組ボックスが発売された。

デランジェ/83年結成。結成から解散まで在籍したオリジナルメンバーは、瀧川“CIPHER”一郎(Gt)と中尾“SEELA”朋宏(Ba)。87年に菊地“TETSU”哲(Dr)が、88年にkyo(Vo)が加入。90年1月メジャーデビュー、同年11月解散。スタジオ録音によるオリジナルアルバムは、『LA VIE EN ROSE』(89年)と『BASILISK』(90年)。

●瀧川一郎『ドむらさき人生激情』(その1〜12)が読みたい方は、ヤマハミュージックメディア刊『Band style』'00年5月号〜'01年4月号をご参照ください。バックナンバーの入手方法は、http://www.ymm.co.jp/magazine/bandstyle/backnumber.html まで!



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