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狙おうと思っても、どうしても
自分たちのものになっちゃうと思う
●いきなりですけど、僕が初めてゴーイング・ステディの噂を聞いたとき、“ポスト
ブルーハーツ”とか“ブルーハーツの再来”みたいな感じで言われてたんですけど、それについてはどう思いますか?
峰田「日本語でウルサイ音出して、そこがザ・ブルーハーツと似てるのかどうかはわからないですけど、そんな変に意識したことはないです。
ただ、ポスト ザ・ブルーハーツっていう言葉を聞いた人間が、“どうせザ・ブルーハーツでしょ”っていうのでゴーイング・ステディを聴かないで、そのままザ・ブルーハーツのイメージを持っちゃうっていうのは、ちょっともったいないなと思うんですよ。俺が、自分のバンドだからそう思うんじゃなくて、いろんなバンドで。
たとえば“あのバンド、グリーン・デイと似てるよ”って言われて、“そうなんだ、じゃあ聴かなくていいや”とかって、もったいない。聴いたら“全然違うじゃん”と思うかもしれないし、聴いてみてやっぱりそうかもしれんけど、“俺は全然聴けるな”って言う人も、いっぱいいると思うから」
村井「僕も同じで、やってる自分たちは、どういうふうに呼ばれてもあまり関係なくて。そういう肩書きで雑誌に出て、それで聴いてくれないとかライヴに来ないとかは、ちょっと残念」
●特にザ・ブルーハーツに憧れていたとかは、ないんですね?
峰田「普通には聴いてました。やっぱり今聴いてもカッコイイですよね」
村井「俺は、テープは持ってるけどCDは1枚も持ってなくて、普通に好きな感じ。ザ・ハイロウズのライヴは、行けるときは行くようにしてます。カッコいいなって、普通に。あと、自分の持ってるイメージなんですけど、やっぱり(甲本)ヒロトのこと大好きな人って、すげーいっぱいいるじゃないですか。で、そういう人の話を聞くと自分も洗脳されるじゃないですけど(笑)、カッコイイなぁって」
峰田「たとえば、ウチらがザ・ブルーハーツになろうと思っても、違う人間がやってるわけで、絶対になれない。たぶん、ウチらはウチらにしかなんないよね。狙おうと思っても、どうしても自分たちのものになっちゃうと思う。ほかのバンドになることはできないですね」
日本語で歌ったら、なんか良くて
“あぁもうコレだな”って
●そもそもの話ですが、結成は東京で?
峰田「そうですね。そのころ、大学生で千葉に住んでたんですけど、ギターの浅井クン(※当時はドラム)と自分が大学で知り合って('96年春)。で、東京に住んでたベースの安孫子クンの3人で結成しました('97年夏)」
●出身は?
峰田「僕が山形、村井も山形、ベースの安孫子も山形で、ギターの浅井クンが名古屋です。大学生のころは、知り合いも全然いなかったんです。だから最初は、僕と浅井クンの2人だけなんですよ。で、“バンドやりたいね”ってことになって、2人ともギターだから“じゃあベースとドラムを探そう”って。で、同じ山形出身の後輩に、“安孫子クンっていうのがベース弾いてるよ”って紹介してもらって、“じゃあ3人でやろう”って。でもドラムいないから、ギターの浅井君がちょっとドラムの経験あるから、“じゃドラムやるわ”って言って、3人で始まりました」
●じゃあ峰田さんと村井さんの関係は?
峰田「高校の同級生なんですよ。友達で、山形から東京に来てて」
●上京の理由は?
峰田「学校ですね」
村井「峰田が千葉の大学に行って、俺は東京の専門学校に行って。そこで、名古屋から来てた浅井君と友達になって」
●学校に行くのは親への口実で、実は音楽でプロになりたかったとかは?
峰田「ないです」
村井「単純に東京に出たいっていう…。で、ライヴを見に行くようになって、“バンドいいな〜”って」
峰田「…っていうときに、ドラムを探してて。本来ギターをやりたい浅井クンが、ドラムがいないからドラムやってるわけですよ。だから、やっぱり本格的なドラムを探そうと思って。で、面接とかもしたんですけど、みんなうまいけど話が合わなくって。じゃあ友達の村井君をドラムにしてやろっかなぁ、みたいな。初心者だったんですけど、やってもらって、そこから3年目」
●それまでバンド経験はあったんですか?
村井「まったくなかったですね」
峰田「俺もなかったです。山形にいるときは、バンドは全然やってなかったんです」
●大学のサークルに入ったりとかは?
峰田「そういうこともなくて。サークルにも何にも入らないで、独学で。なんか知らないけど、聴いてる音楽とか好きな音楽が結構似てたりして、“やっぱ面白いよな”とかって浅井クンと2人で盛り上がっちゃって」
●バンドを組んだ当初から日本語で歌ってたんですか?
峰田「最初は英語でした。英語だったらカッコイイっていう、そういう風潮だったし。でも、やってみたら、やっぱり日本語でやったほうがいいのかなって思って。で、やったらなんか良くて、あぁもうコレだなって。それからは、もう日本語しかやってないです、今のところは」
あんなにクオリティ低かったのに
音源を出すなんて、あり得ないと思った
●聞いた話ですが、練習スタジオで一発録りしたテープにヤングパンチのフクイ君が興味を示したという…。
峰田「そうです」
●そのテープは、かなりいろいろなところに送ったんですか?
峰田「いやいやいやいや。ちょうどポットショットがライヴで千葉に来てて、そのときちょうどテープを作ったところで、タイミングが良かったから渡したんです。絶対に無理だと思ってましたけど。だって俺、楽器持って初めての練習ッスもん。そのときのテープっスもん」
●それはリョウジ君に渡したんですか?
峰田「はい。リョウジ君からは電話かかってこなかったんですけど、リョウジ君とレーベル(TV-FREAK RECORDS)をやってたフクイ君から、“レーベルやるんだけど音源出さない?”って電話かかってきて。テープは、リョウジ君とフクイ君が一緒に聴いたらしいんですけど」
●で、ビックリした、と。
峰田「ホント考えられなかった。俺、絶対ウソだと思ったもん。俺の家に“ヤングパンチのフクイっていうんですけど…”って電話かかってきたんですけど、“いや、絶対ウソだ”と思って。あんなにクオリティ低かったのに音源を出すなんて、あり得ないと思ったから。もう本当にバタバタなんですよ、ドラムもギターも。一発録りで音も汚いし。でも、出そうって言われて。ソッコーみんなに電話して“こんな話きたよ、超嬉しいね”って」
●(笑)。その時点で村井クンのドラム歴は何年?
峰田「そのときは、まだ入ってないです」
村井「俺は、TV-FREAKのオムニバス(『TV-FREAK A GO GO #2』)を録り始めたときぐらいに、陰で練習をし始めて、その半年後ぐらいに一緒に合わせてって感じッスね」
●フクイ君が“何がイイ”って言ってたか覚えてます?
峰田「わかんないッス」
村井「俺がフクイさんに聞いたのは、演奏とかじゃなくて、なんか説得力があるって。曲がいいとかメロディがいいとかじゃなくて」
●英語で歌ってるときに、それに気づくフクイ君もスゴイですよね。
村井「でも、その俺が入ってないときのテープを聞くと、あまり変わってないっていうか…」
●熱かったとか?
村井「はい。大事な部分は、あまり変わってない。最初、3人のライヴとかもベースの安孫子クンの横で見たんですけど、あまり変わってないんですよね。そこで4人になってプラスアルファっていうのは、いっぱいあるんですけど。核の部分は、あまり変わってないなって思いましたね」
●峰田さんは、小学校とか中学校のころに、歌で注目を浴びたことはあったんですか?
峰田「あー考えたら俺、中学校のときに合唱部ってあったんですよ。運動やってて野球部だってたんですけど、3年で引退するじゃないですか。で、引退すると合唱部に引き抜かれるんですよ。それでウチの中学、NHKの東北大会…あ、県大会で優勝しました。でも、歌うまいとか思わなかったし。ただ、歌うのは好きだったみたいですね。親父の影響で、小さいころからビートルズとか聴いてて」
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