絶対に音楽だったけど、
強いて迷ったと言うならば、
プロレスラーとロックンローラーかな(笑)


●音楽で食べていこうと初めて思ったのはいつですか?
木谷
:もともと僕は、幼稚園の年長くらいから高校2年の手前までずっと野球をやっていたので、もちろん自分はプロ野球選手でメシを食っていくだろうと思っていたんです。でも、高校1年の学祭でコピーバンドのヴォーカルをやったら、仲間を含めてすごくたくさんの生徒が見に来てくれて、かなり盛り上がった。そのとき、歌うことに魅了されたんです。それで、これはやるしかないと思って、父親に相談したら“二兎を追うものは一兎をも得ずだ”と言われて。悩んだあげく出した答えはミュージシャンでした。それで、今まで十数年間やってきた野球を捨てて音楽をやっていく以上は、これでメシを食っていこうと決めました。
●その時点で、もうギターを弾いていたんですか?
木谷
:いや、親戚の兄ちゃんに教わってコードを3つ知っていただけ。音楽を選んだからにはまずギターを買おうと、バイトでお金を貯めて、ある日、名古屋に買いに行ったんです。で、買ったその日に駅でケースを開けて歌ったのが、ストリートでライヴを始めたきっかけ。なんせ3コードしか知らないから、弾けるのは2曲だけでした(笑)。それでもけっこう人が集まってくれて、そのまま味をしめて続けるようになって。たぶんあの頃から、自分でいろんなことが表現したかったというか、人の歌を借りてでもいいから、何かを発する場所が欲しかったのかな。
●歌うことそのものの魅力もありますけど、聴き手がいるというのはやはり大きいですね。
木谷
:そうですね。歌を通して、目に見えない何かを共有しているような感覚がライヴにはあって、今振り返ってみても、そういう音楽の素晴らしさ、自分が信じる鳥肌みたいなものを、そのときすでに肌で感じていたんです。
●野球に行かなくて良かったですねぇ。
木谷
:(笑)今でも親父には、“お前は野球をやると思っていた”と言われるんですよ。僕も野球は野球でやっていてもよかったのかな…と今でも思うことがあるんですけど、それはないものねだりですね。
●足土さんの場合は?
足土
:男の子って、小学生ぐらいだと人前で歌うことに抵抗があったりしますよね。でも俺は昔からすごく音楽が好きで、けっこう大きな声で歌っちゃうような子供だったんです。俺らが小学校高学年の頃はちょうどバンドブームの終わりの時期で、いろんなバンドがテレビに出ていたんです。それを見てバンドやロックスターに憧れるようになって、俺もこんなふうに音楽をやりたいと思ったのが最初ですね。
●楽器はいつから?
足土
:中学で拓也とバンドをやり始める少し前に、おじいちゃんの物置からアコースティックギターをもらってきて弾いていました。実は、ベースを弾き始めたのはsacraを結成した20才からで、それまではずっとギターをやっていたんです。
●ベースラインがどことなくギターっぽいのはその影響なんですね。
足土
:それはよく言われます。少なからず影響しているかもしれませんね。
●その後、進路に迷うことは一度もなかった?
足土
:絶対に音楽、でした。強いて迷ったとすれば、小学生のときに大好きだったプロレスラーになるかロックンローラーになるかっていう、ものすごく漠然としたところでの悩み(笑)。ただ、身長があんまり大きくならないだろうと思ったんで、そこはシビアに見ていたのかな(笑)。高校も、自由なところに行ったら確実にだらけちゃうと思って進学校に行ったんですけど、学校選びに外せなかったポイントは学園祭でライヴができるかどうか。迷った学校が2つあったんですが、うちの高校は資料に『学園祭でライヴをやったり…』と書いてあったんで、“おっしゃー!”と思って選んだんです。ところが入ってみたら俺らの前の年に卒業した生徒が規則を破って、ライヴが禁止になっていた。しかも、俺らが卒業した年にまた解禁になって(笑)。
●じゃあ、結局願いは叶わず…。
足土
:そう。だから学校でやる代わりに、外でいろんなイベントを開くようになりました。
●逆に外に出るタイミングが早まったんですね。
足土
:それはありましたね。夏休みや冬休みを使って、最初はライヴハウスというよりも小さな文化勤労会館みたいなところで。高校の頃は違うバンドだったんですけど、拓也とは一緒にイベントをやったりしていました。その頃は僕もコピーバンドだったんで、チラシや音源作って本格的にというよりは、まずみんなで楽しく、という感じで。
●加藤さんはいつから音楽に興味を持ち始めたんですか?
加藤
:いつメシを食っていこうと決心したっていうのはないんですけど、ギターは小学生ぐらいから弾いていました。親父がバンドでドラムをやってたんですが、なぜかエレキギターが家にあって(笑)。中学ではT-SQUAREのF1のテーマソング(「TRUTH」)をやりたいという理由でブラスバンド部に入って、そこで音楽っていいなぁって思い始めて。それである日、ユニコーンのコピーバンドを組んだんです。で、高校に入ってもずっと学園祭とかでバンドをやっていたんですけど、卒業したら働かなきゃいけないじゃないですか。でも普通 のサラリーマンは嫌だし、音楽の仕事がいいなと考えて、そのときは楽器屋さんに2年間就職しました。その途中でsacraを結成したんで、結局辞めましたけど、音楽と共に生活していきたいとは、漠然とながらずっと考えていたんです。
●sacra結成時は仕事とバンドを両立させていたんですね。
加藤
:正社員だったんで、朝10時から夜8時まで働いて、それからスタジオでバンド練習という生活。けっこうハードでしたね。休みも週1日あればいいほうでしたし。
●では、sacra結成時には全員がプロ志向だったと。足土さんと加藤さんは高校時代は別 々のバンドを組まれたんですよね。
足土
:はい。僕が別のバンドに誘われたのと、拓也が高校では部活で固まっていたのがあって。
加藤:闇の時期ですね
●闇ですか(笑)?
足土
:当時の彼はハードロッカーで、髪もすげえ長くて(笑)。
加藤:高校時代はそういう病んでた時期が(笑)。
足土:で、卒業して1年ぐらいのときに、ちょうどみんな、それぞれのバンドを解散したので、じゃあちょっと合わせてみようかっていう感じになって。木谷くんを知ったのは、彼が駅でストリートをやっていたからなんです。その頃はまだ、ゆずもデビューしていなかったし、ストリートの文化自体がまだなかったですよね。だから、いつもすごく人が集まっていて。
●その時点での音楽性はわりとバラバラな感じですね。逆に共通 項はどんな部分でしたか?
木谷
:小さい頃からメディアを通じて入ってきた歌ものに対しては、みんなそれなりに影響を受けていますけど、バンドとして全員が影響されたのはU2。アルバム一枚一枚に、迷いなくどんどん変わっていけるっていうスタンスがいいな、と。
加藤:今でもそうだけど、やっぱりメロディや、訴えたいことがしっかりしているバンドはすごく好きでしたね。


一度プライドをゼロにされたことで
自分とちゃんと向き合えたから、
足りなかったものがどんどん見えてきた


●99年の4月に結成したにも関わらず、ファーストシングルをリリースした11月の時点で、すでにインディーズレーベルについたいきさつを教えてください。
木谷
:結成して2ヶ月ぐらいでデモテープを録って、その1ヶ月後ぐらいには、そのデモテープを拓也が僕らに内緒でオーディションに送っていたんです。そうしたら一次の音源審査に通 ったので、二次審査でほかのバンドさんたちとトーナメントライヴをしに名古屋から東京へ行ったんです。そこでは見事敗北するんですけど(笑)、そのライヴを今の事務所の社長が審査員として見ていて、負けた僕らに対して一緒に音楽をやりたいと言ってくれて。
足土:そのあと僕らは地元に帰ったんですけど、話がしたいからと、社長がすぐに名古屋まで来てくれて。実はそのとき、ほかにも誘ってくれたところがあったんですが、まず彼がリンドバーグのディレクターだったという経歴を持っていたところにも、ミーハーに惹かれて。でも、それ以上にとにかく熱い人だったんで、じゃあよろしくお願いしますっていう感じで決まったんです。
木谷:お酒も飲ませてくれるし、いい人だって(笑)。
足土:その後は社長が、〈夏にレコーディングをして、秋にシングルを出す〉という流れを作ってくれた。行動に出たのが結成して1ヶ月と早かったのもあるかもしれないけど、結果 的に運が良かったんですね。でも、そこで勘違いしちゃったんです。そのあとはいろいろスランプに陥りました。
●そうなんですか? プロフィール上では、その後メジャーデビューまでの数年間も定期的にリリース、ライヴとやっていて、トントン拍子できた印象を受けていたのですが。
足土
:初めて出したシングルがインディーズチャートに入って、名古屋での初ワンマンがソールドアウト。実際は、ストリートでの木谷くんの知名度があっての動員だったのに、そのときはいけるんじゃないかと調子に乗ってしまったんです。1年後に上京したものの、そんな状況だったから、ストリートとかもあまりやらなくなって。
●忙しくてやれなかったわけではなく?
足土
:いやいや、全然ヒマでした。お金も今よりもらっていて(笑)、いいところに住んで、スタジオ練習が終わったらみんなでマージャン。うぬ ぼれていたというか、貪欲さに欠けていて、曲も全然できなかった。その上、名古屋を離れたのにストリートもしないから、ライヴの動員も減っていって。トンネルの中にいるような状態が1年以上続きました。
●そこから抜け出したきっかけはなんだったんですか。
木谷
:きっかけは一つではなくて、いくつもあるんですけど…じゃあ全部しゃべりましょう(笑)。
 1つ目は、社長とのミーティング。人間って、自分と見つめ合わないと、知らずのうちにしょうもないプライドをどんどん高く、しかも硬く築き上げてしまうんですよ。彼はそれをものの見事に全部ぶち壊してくれました。今思えばありがたかったし、愛があったんですけど、そのときは目の前でものすごく図星なことや残酷な言葉をかなり言われて、ズタズタにされて。でも、一度ゼロにされたプライドをまた築き上げていく中で、今度は自分とちゃんと向き合えたから、足りなかったものもどんどん見えてきた。3人ともそこから成長していったのかな。
 それと、ラジオのレギュラー番組で、1週間に1曲作ってオンエアするという、かなり過酷な企画をその社長に課せられたこと。ツアーに行っても曲を作らなきゃいけないんです。それで、かなり身を削りながら曲を作っていったわけなんですけど、そのペースがいつのまにか身体に染みついていって。曲を作るペースは、いまだにそれが保たれている部分はあります。
足土:それまでは1ヶ月に1曲作るのが精一杯だったのが、すごく速くなった。しかも、ラジオで流すのはデモだから、聴いてもらうチャンスは1回しかない。それに対する反応を瞬時に電話やメールで聞くんですが、たとえばラジオを聞きながらドライブをしているカップルにも、1回で“この曲いいね”って言わせないといけないし、反応が悪ければ次の週はもっと考えないとダメなんです。そういう中で、一度聴いただけで人の耳に引っ掛からせるにはどうすればいいか、ということと、曲を作るペースを上げることを鍛えられたし、意識するようになりました。
加藤:あとは、3人になったことだよね。
木谷:最初はドラムもいて、4人だったんですけど、いろんな理由でドラムが脱退して。それがスゲェでかい原因なんですけど(笑)。ドラムがダメだったわけではなくて、彼がいなくなったことで、もっと3人でがんばらなきゃと思うようになったんです。それでまたストリートライヴをやり始めたのも、すごく大きかった。
足土:ちょうど一緒に住み始めた頃だったから、本当に運命共同体みたいな感じ。みんなでストリートに適した場所を探して、それまで行ったこともない溝の口とか自由が丘なんかでやったりしたこともあった(笑)。とにかく自分たちに合う場所をすごく探してて、その甲斐あっていい場所が見つけられたんです。
●それは?
木谷
:まず、千葉の柏はストリート応援の街なんですごくやりやすかったし、東京だと新宿のアルタ前。あそこは警察の取り締まりも厳しかったけど、大人も若者もたくさんの人が止まってくれた。あとは千葉でラジオをやっていたこともあって、千葉駅でも始めたんですが、ラジオと連動して徐々に知ってくれる人が増えて。去年は週3回、曜日を固定してその3ヶ所でやっていました。
●ストリートで得たものは何ですか?
木谷
:集中力っていうものが、どういうものなのかがわかった。ストリートのライヴは、そのときの自分の状態が露骨に出るんです。バンドとしても個人単位 でも、モチベーションが低ければお客さんは全然集まってこないから、みんなの前に立って音楽をやるとき、いかにモチベーションとテンションを高くもっていけるかということをよく学びました。
足土:人前に立っていかに素でいられるか、ですね。最初はすごく恥ずかしかったし、堂々としていなかったけど、だんだん人前に立つことが気持ち良くなってくる。演奏力というよりは、そういう佇まいが変わったんじゃないかな。友達に、俺らと同じようにストリートをがんばっているバンドがいるんですけど、初めて見たとき、全然お客さんが集まらなかったんです。ストリートでライヴをやれば人が集まるかと言えばそうではなくて、やっぱり何か良くないとダメなんだと、そのときは思ったりもしたんですが、そのバンドも頑張って3〜4ヶ月ストリートを続けていくうちに、久しぶりに見たらすごく良くなってて。曲は一緒でも、佇まいがすごく堂々としていて、通 る人を立ち止まらせる雰囲気が前よりも増してたんですよ。そういうのが自分でも気づかないうちに出てくるんじゃないかな。それはライヴハウスでのステージにも、MCや接し方にも影響してくることなんです。そういう意味で、ストリートは僕らを人として成長させてくれた。
●路上でもアコースティックではなくバンド形式にこだわったのはどうしてですか。
木谷
:僕が一人でストリートを始めた頃はまだ、ゆずもいなかったけど、sacraを結成したときにはアコギのスタイルが巷に溢れていて、僕の中ではもう古かった。だったら次はバンドが街に出る時代だと。俺たちはバンドだから、伝えたい音はストリートでもちゃんと聞こえてこなきゃいけない。その直感を信じて、セットを買ってバンドでストリートをやりはじめたんです。
●ストリートの機材については?
加藤
:僕らの形態はけっこう特殊だったんです。スピーカーを立てて、ミキサーとパワーアンプも置いて。そこらへんは目立ってなんぼ、みたいなところですかね。
●路上で一番気をつかったことは。
加藤
:機材がデカい分、人が通れなくなっちゃったりすると、それだけで不快に思う人もいるだろうし、音もやたらデカければいいっていうものじゃない。僕らはバンドでやっても音はなるべく小さめにしたり、ドラムもフルセットじゃなくて三点だけにしたり、周囲には気を遣いました。もともとやっちゃいけないことだから。
足土:まず人を立ち止まらせる。それさえできれば、曲や歌詞や演奏で気に入ってもらえると思っていたんです。そういう意味で、すごくほかと差をつけたかった。
●今も3人で暮らしているそうですが、共同生活にしてから変わったことはありますか。
木谷
:3LDKで暮らしていると、家にミュージシャン仲間が集まってきて、共有スペースでみんなで語ることもすごく多くなったし、友人もどんどん増えていった。それも俺の中ではかなりでかいですね。音楽について熱く語り合える仲間を持つことは、自分が今置かれている状況や立っている場所っていうものの確認にもなるし。
●3人で一緒に住んでいて嫌になることはありませんか?
加藤:脱衣所に足土のパンツが落ちているときぐらいですかね。たまにあるんです。
木谷:あと、風呂の排水溝に髪の毛がたまって詰まっていても誰も拾わないときとか。いつも俺が拾ってる。
(一同爆笑)
●気になるほうですか。
木谷
:気になるというか、流れないから桶とか浮いてくるんですよ。この状態でみんな入っているのかと思うと、俺やるよ、みたいな。
●掃除や料理は分担してるんですか。
木谷
:料理はしないからねぇ。たまに僕が鍋を準備して、みんなで食べたりはしますけど。あとは、掃除というか、トイレットペーパーを買ってきたり、光熱費をまとめるのも僕ですね。
●ママだ(笑)。
加藤
:俺は共有スペースに雑誌を溜めてますね。
木谷:めちゃくちゃありますよ、雑誌が。
加藤:みんなが読めるようにね。
木谷:いや、紐でくくってあるし(笑)
木谷:でも、基本的にはあまり干渉しないですね。
●曲を作ったときにすぐ聴いてもらえるのは便利ですね。
木谷
:自分で作って、足土の部屋ですぐに軽く録音したりということはよくあります。


 





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