――日本語詞の曲をやろうと言ったのは、イチカワ君なんですよね?
「日本語をやりたいなと思ったのは、単純に直感だったんですよ。何がどうっていうんじゃなくて、自分がただ歌いたいな、と。それで2人に話したら“いいねぇ、やってみようか”って感じで始まったんですけど、実際やってみたら歌えなかったんです。自分が歌詞を書いて、それをスタジオでやったりしても難しくて。その時、これをきちんと歌えれば今よりもっと良くなると僕は思ったんですけど、2人は違って。うまく歌えんし、歌ってても面 白くない、みたいに感じゆうところがあって、それで2月のレコーディング前に僕は辞めるという話になったんです。
 東京に出てくることに関しても、果 たして東京に出てきて今と同じものができるのかって疑問が、すごくあった。その時点では、まだ日本語はやらないことになっていたから、今の状態のまま出てきても、うまくいかんと思ったし。でも、日本語をやるやらないに関しては、どっちが悪いわけでもないから、それならお互い別 れてやったほうがいいんじゃないかってことになったんです。
 で、そう決めてから、これで最後ならせっかくだから日本語やるかえって話になって。そうしたら2人も、それをすごく気に入ってくれたし、自分としても、思ってたよりもストームとして近づいてきたなって感触があったから、ちゃんと話をしたんです」
――普段聴いている音楽も、日本語詞の曲が多い?
「そうですね、どっちかって言ったら日本語が多いです。英語か日本語かという以前に、日本人だから、日本人が作るメロディのほうが耳に聴こえ良かったりするのもあるかもしれないですけど」
――日本語の曲をやることで、また新しい課題が出てきたりもしますよね?
「今の段階では、日本語から曲を作るのはまだ無理なので、できてきたメロディに対して、これは英語がいい、これは日本語がいいというのをクマと相談して考えています。自分が作ったき自分で判断するっていうんやなくて、2人でギター弾いて“これはどっちでやろうと思うんやけど、どう思う?”みたいな感じで。課題がなかったら楽しくないじゃないですか。やり切っちゃったら、やめればいいと思うし」
――で、仕切り直しで、またガンガンやっていくぞ、と。
「最近、うまく行き過ぎて曲が作れないんですよね。体が頑張ってしまって(笑)。この1〜2年で決定的に変わったことがひとつあって、結構前からの話になるんですけど、前に僕らも一緒に回ってたポットショットのツアーの赤坂ブリッツでのファイナルの時、僕は風邪をひいてしまって、全然歌えなかったんです。ちょうどミニアルバムが出たぐらいだったと思うんですけど、その頃から歌をちゃんとしたいなっていうのがあって。
 ツアーをやって、いろんな場所でいろんなバンドを見るじゃないですか。そうすると、やっぱりそのバンドを聴いて一番耳に入ってくるのは声なんですよ。歌っていうんは、ギターやベースと違って、何か物を買ってやるわけやないき、僕らのバンドで一番ないがしろになっちょったところであって。でも実は、そこが一番大切やないかなぁと思って、この一年は特に力を入れたんです。
 それまでは、3人で難しい演奏をやることが楽しいって感じになってたけど、削除法というか、歌を伝えるための演奏になってきた。それが2月より前の時点では、僕もちゃんと話をできてなかったんですね。ストームというバンド自体、アレンジとかがちょっと難しいき、僕は客観的に見て何かいっぱいいっぱいなところがあったりして、でも2人はそれでもそのままやっていきたいって言ってて。だけど、歌に力を入れて頑張っているうちに、ベースも自然とうまくなってきたんですよね」

――実際、今回のアルバムは歌が際立ってきてますよね。
「これを今度は、きちんとライヴで伝えられるようにしたいですね。今回のサードは、やりたいことをやったっていうんじゃなくて、やるべきことをやったっていうほうが正解かな。セカンドは、たとえば3人にない音を入れてみたりして、やってみたいことをすごくいろいろやってましたから。そういう意味では、いいアルバムになったと思うんですけどね」
――今回のアルバムをもっといろんな人に聴いてもらうためにライヴをやって、もっとイイ感じになってから、また上京については考えればいい、と。
「そうですね。今までストームというバンドをやってて、慌ててもいいことってなかったので。だから今回は、ある意味ファーストですね」
――再出発しても、今まで通りやっていきたいというスタンスは変らない?
「メンバーと仲良くっていう言葉を、僕らはちょっと履き違えちょったところもあったので、ただ友達みたいにやるんじゃなくて、きちんと言いたいことは言えるような仲にしていきたいですね。一番いい理解者であり、いいライバルでありたい。そうせんと、打ち上げのお酒もおいしくないじゃないですか」
――友達として始めたからこそ、なぁなぁな部分が見えると、それが大きくなっていったりするんですよね。
「東京とかって、一緒にバンドやるのにオーディションして全然知らない人と組んだりするじゃないですか。そういうのって高知ではあまりないから、ちょっと信じれんようなことなんですけど、そういう中に見習うべきところはあるし、見習っていきたい。結局、最後は3人だから。
 でも、ちょっとずつでも大人になっていってるんでしょうかね。生活レベルは本当にヤバいです(笑)。まだ20才の頃のほうがマシでした。僕らの年代になると、やめていく奴も多いんですよ。高校とか大学を卒業するとやめるバンドが多くて、その後は今の25〜26才も、ちょうどまた境なんかな。第2の危険帯でしたけど、それを乗り越えたので、もうちょい頑張れるかな」

――東京だったら、30才過ぎのフリーターもたくさんいますけどね。
「僕ら高知では、変わり者ですからね。僕ら時々、高知のテレビに出たりするんですけど、この年になって、もしまだCDも出してなかったら、おばあちゃんからのバッシングとかすごいでしょうね(笑)。まぁ、これからもマイペースで頑張ります」

stormインタビュートップへ



※SAへのバンド出演依頼 、タイセイ(SA)含むBoo Zee LoungeクルーへのDJ出演依頼、 ブライアン・バートンルイスへのDJまたはMC出演依頼は、familiesまで。   ※本サイトへのご意見、ご感想はこちらへ